壱夢庵漂流記(貧乏長屋のご隠居雑記)

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「DIE WITH ZERO」について(その1)

こんにちは、壱夢庵ひょっとこ斉です。 今回は、「DIE WITH ZERO」(亡くなる時に持ち金ゼロ)は現実的かについて書きます。 経済コラムニストの大江英樹さんの近著『90歳までに使い切る お金の賢い減らし方』(光文社新書)には次のようなことが書いてあります。 年金の受給が見えてくるころには、お金を貯めることではなく、「死ぬまでにどう使い切るか」もあわせて考えてみようと提案しています。 老後不安が根強いなか、減らし方こそ大事とは、逆張りの発想に聞こえる。だが、本書を読めば、墓場までは持っていけないはずのお金に振り回されることの虚しさが腑に落ちるだろう。老後のお金の使い方を考えておくことは、人生設計において資産形成と同じくらい大切だと。 「株の売り時」という点で、大江さんは、余裕資金はインデックスファンドに積立投資をしておいて、必要になった時に必要な額を現金化して使っているという。 「今の相場が高いか安いか、売り時かそうじゃないかなんて、わかりっこない」と達観して、「お金が要る時=売り時」と単純化しているそうだ。この手法には、ルールをシンプルにすることで心理的な負荷を小さくできるメリットもあると。 対して、作家、アルファブロガーの鈴木傾城(すずき けいせい)さんは、 人類の大多数は金銭的に余裕がない。 貯金がない人からしたら「ゼロで死ね」という主張は、非常に残酷な主張であると言える。「ゼロで死ね」はしょせん金持ちの発想であり、金持ちへのアドバイスだと。 老いたら金を使わなくなるとも言うが、そうとも言い切れない。病院代・薬代で金がかかるし、老人ホームもタダではない。快適を望めば望むほど老人ホームもカネがかかると。 そもそも普通の人は、「死んだときにカネが余っていたらもったいない」と考えなければならないほど余計なカネを持てない。そういうシチュエーションは考えなくてもいいのだ。むしろ「途中でカネが足りなくなるかもしれない」ことをリアルに心配すべきであると。 だから、あまり余裕をかましたり、死んだときに資産が余ったらどうしようとか無駄なことを考えたりしないで、人生を通して一心不乱にカネを貯めておくべきだ。そうしないと、どのみち足りなくなる可能性が高い。 死ぬ前日まで資産があって金融的安定を保っていたほうが、寿命を計算しながらゼロにしようとするよりずっといい。 どちらも言い分も理解できる。 やはり、この問題とは一生付き合っていかなければならないようです。